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聖歌は生歌

聖歌は生歌

四旬節第1主日


【洗礼志願式のために】
 四旬節第1主日のミサでは、復活徹夜祭で洗礼を受ける人びとが、洗礼志願者となる、洗礼志願式が行われま
す。B年、C年の場合も、A年の朗読箇所を用いることができます。また、何らかの理由で、この日に洗礼志願式が行
われない場合や、ミサではなく、集会祭儀やことばの祭儀だけで行われる場合には、A年の朗読箇所を用いることに
なっています。A年の朗読箇所が用いられる場合には、答唱詩編もA年の答唱詩編を歌います(『カトリック儀式書
成人のキリスト教入信式』74~76参照)。

《A年》
6・7 あなたのいぶきを受けて
【解説】
 今日の答唱詩編は詩編51が歌われます。この詩編は回心・ゆるしが主要テーマです。詩編の表題の1・2節に
は、「ダビデの詩。ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき」(サムエル記下11:1
~12:15参照)と記されていて、旧約時代以来、ダビデの歌とされていますが、実際にダビデが歌ったかどうかは定
かではありません。回心の七つの詩編の一つで(他に詩編6、32、38、102、130、143)、神に赦しを願い、罪か
らの清めと神のいぶき(聖霊)による聖化を求め、典礼(神殿祭儀)での感謝と賛美を神に約束します。
 答唱句の旋律は、冒頭、最高音部から始まり、次第に下降することで「あなたのいぶき」すなわち神のいぶき=聖
霊を願い、それが、天から降り、与えられる様子が表現されます。また、アルトとバスは主音のEs(ミ♭)を持続し、神
へのゆるぎない信頼と、回心の強い決意が表されています。後半は、同じ音の動きが3度下のG(ソ)から始まり、わ
たしたちが新たにされることが、とりわけ「あたらしく」のバスで最低音を用いることで、謙虚に示されています。旋律
も和声もシンプルですが、それによって、ことばが生かされ、祈りが深められます。
 詩編唱和は、旋律の終止音であり、また、最低音でもあるEs(ミ♭)から始まり、2小節目の後半はAs(ラ♭)、4小
節目の最後はB(シ♭)というように、嘆願のことば、あるいは、信仰告白のことばが歌われる部分で、前半、後半、
それぞれの最高音を用いることで、ことばを強調し、叫びを高めています。
【祈りの注意】
 答唱句の指定速度は、四分音符=63くらい、ですから、それほど早くも遅くもない速度です。ことばの持つニュア
ンスから言うと、「荘重に」歌うようにしたいものです。特に、後半は、静かで謙虚なこころの中にも、荘厳さがあるとよ
いでしょうか。答唱句は、それぞれの詩編唱に対して、こころから「あなたのいぶきを受けて、わたしは新しくなる」こと
を、言い表しましょう。バスの下降もこれらを助けています。
 詩編唱は、上にも書いたように、答唱句の終止音で、かつ、最低音であるEs(ミ♭)から始まります。最初は、こころ
の深みから、詩編で歌われる回心のことばを、神に告白しましょう。音の強さとしては、mp から始めるのがよいと思
いますが、それは、あくまでも音量であって、告白するこころが真剣な力強いものでなければならないことは、言うま
でもありません。このことばは、詩編を歌う人、個人のことばであるばかりではなくと、その共同体、そのミサに参加
するすべてに人のこころを言い表しているものでもあることも、忘れないようにしたいものです。2小節目の後半と4小
節目の最後には、上にも書いたように、神への嘆願のことば、信仰告白のことばが歌われますが、ここは、「あなた
のいぶきを受けて、新しく」されたわたしたち一人ひとりの持つ、神へのゆるぎない信頼を込めて神に呼びかけてくだ
さい。
 なお、答唱句が異なることから、番号が6と7とになっていますが、詩編はどちらも同じ51です。6の1節と7の1節
および3節が、今日の詩編ですので、6、7のどちらかを省略することのないようにしてください。
 今日のことばの典礼のテーマは「誘惑」です。蛇は、巧みな誘惑で、人をだましました。「決して死ぬことはない。そ
れを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなる」と。昔から不老不死になること、また、神と同じようにな
ることは、人間が考え続けていたことではないでしょうか。しかし、人間は造られたものであり、造り主になれることは
絶対にありえません。人祖の行動に対し、イエスは、最後に聖書のことばを用いて答えます。「退け、サタン。『あな
たの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」。わたしたちは、大きな罪(いわゆる大罪)と言われるもので
はなくとも、実は、知らず知らずのうちに、世間の価値観に流され、神を神として認めないことがあるかもしれません。
この、回心の詩編を味わい、心に留め、いつも、心を神に向けなおす恵みを願い、また、そのように歩んでゆきたいも
のです。
【オルガン】
 回心は、暗く沈んでいるのではなく、神に立ち戻ろうとする、心を神に向けなおすものですから、それをあらわすよう
な音色を考えてください。派手ではないものの、やや明るめのストップを選択すると、答唱句のことばが生きてくるの
ではないでしょうか。主日のミサですから、8’+4’が基本でしょう。とはいえ、プリンチパル系のストップでは、音が
大きすぎるきらいもあります。
 前奏は、神の霊が降ってきて、わたしたちのすべてを新しくするように、活き活きとしたいものですが、早すぎたり、
あわてたものではないことは言うもまでもありません。

《B年》
137 すべての人の救いを
【解説】
 詩編25は詩編34と同じく、ヘブライ語のアルファベットの第6文字(ワウ)が省略されたアルファベット詩編です。た
だし、現代の底本では、他に、第2文字(ベート)と第19文字(コーフ)も欠けています。「道」ということばが何度も繰
り返され、神の道を歩み続けることができるようにと、罪の許しを求める祈りがささげられます。
 答唱句はアルトとバスが第2小節までC(ド)、和音も主和音を保つことで、すべての人の救いを願う精神の持続を
表現しています。後半は一転して、和音も動き、特に「(待)ち望む」で、旋律は最高音のC(ド)に至り、テノールでは
As(ラ♭)が経過的に、アルトではD(レ)⇒E(ミ)という動きが用いられ、救いを待ち望むこころと決意が神に向かって
高められます。
 詩編唱は、六の和音から始まり、救いを待ち望む姿勢が継続されます。第3~第4小節にかけては、伴奏のテノー
ルでFis(ファ♯)を用いて和音が属和音に至り、和音進行でも祈りでも、答唱句へと続くようになっています。
【祈りの注意】
 答唱句はあまり早くならないように注意しましょう。答唱句のこの、ことばをゆっくりと噛み締めるように祈りたいもの
です。人間、誰でも一人や二人は好きになれない人がいることでしょう。その人たちのことをぜひ思い起こし、その人
たちの救いを願い、この答唱を祈りたいものです。「すべてのひとの」と「救いをねがい」の後の八分休符の前の「の」
「い」は、そっとつけるように歌い、やや dim.すると、ことばが生きて、祈りも深まります。
 後半の「わたしは」からは、だんだん大きくしながら rit. しますが、決して、乱暴に怒鳴らないようにしましょう。「待
ち望む」で、この cresc. は最高点に達しますが、「望む」からは、徐々に、dim. すると祈りも深まるのではないでし
ょうか。解説にもあげた、テノールで経過的に用いられるAs(ラ♭)すなわちA(ラ)⇒As(ラ♭)⇒G(ソ)、アルトのD
(レ)⇒E(ミ)というそれぞれの動きを「待ち望む」こころをあらわすのにふさわしくしたいものです。、答唱句全体がP
で歌われますから、この cresc. も P の中で cresc. すると、自然と祈りが深まるでしょう。
 詩編唱の1節で「神よ」という呼びかけがありますが、ここで、区切りを入れると、音楽ばかりか祈りも途切れてしま
います。この詩編唱は、どの小節も一息で祈りましょう。「神よ」や「神は」の後、半角あいているのは読みやすくする
ため、途中で字間があいているのは楽譜の制作上の限界であることは、「答唱詩編」の最初のページで述べたとお
りです。
 1節の最後の「くださぃ」は、「さ」をのばし「ぃ」をそっとつけるように、天におられる神に呼びかけるようにします。決
して「さいー」と品が悪い歌い方にならないようにしてください。最後に歌う答唱句は、この答唱詩編の締めくくりとし
て、テンポも少しおとし、PP で歌うと、より、この答唱句の祈りのことばが深まるでしょう。
 復活徹夜祭で洗礼を受ける人々がおられる小教区などでは、このミサの中で洗礼志願式が行われることと思いま
す。この答唱詩編の答唱句を、特に、入信志願者のことを思って歌いたいものです。創世記では、ノアの洪水の後に
は、神は決して造られたものを滅ぼすことなく、わたしたちのために自ら定めた契約のしるしとして、虹を定められたこ
とが述べられます。虹は、雲の中にある細かい水の粒に、光が反射してできるものですが、洗礼に必要な罪を清める
水に、神のそしてキリストの光が当てられると、美しい、虹が現れるのです。
 神がわたしたちのために定められた契約を、神は、決して破ることはありません。むしろ、わたしたちの方が、いつ
も、一方的に破棄するのではないでしょうか?
 この詩編は、いつくしみ深い神の契約を思い起こして唱えられます。それは、洗礼志願者の洗礼と、四旬節の回心
を、重ねて表しているとも言えるでしょう。詩編を唱えるかたは、自らの洗礼の思いと洗礼を待ち望む人々の心とを重
ねあわせ、さらに、それを迎える共同体が、神のいつくしみに信頼して、回心の道を歩むことができるような黙想の助
けとなるようにしていただきたいと思います。
【オルガン】
 この答唱句は待降節のテーマでもあり、主の来臨、主の復活、という、重要な出来事を準備するものです。待降節
のいくつかの答唱詩編でもそうだったように、落ち着いた、祈りが深まるストップを用いることが大切でしょう。会衆の
人数が多い場合を除いて、基本的には8’だけでよいと思います。人数が多い場合は4’を加えることも考えられます
が、最後の答唱句だけは8’にすると、会衆の祈りの声も、PP になるでしょう。
 この答唱句は、どうしても、早くなりがちなので、オルガンの前奏は、丁寧なレガートで、しかし、だらだらとならない
ように、しなければなりません。音が簡単なので、甘く見たり手を抜くと、会衆の祈りが、せかせかしたものになりま
すから、じっくりと準備をしましょう。
 
《C年》
 129 主を仰ぎ見て
【解説】
 詩編91は、神に忠実である王に、預言者が神の保護を確約する詩編ですが、「盾」「矢」「不意打ち」と言った軍事
的なことばがあることから、出陣する王に対しての託宣と考えられています。神の保護が美しく歌われることから、こ
の詩編は「教会の祈り」でも、主日・祭日の「寝る前の祈り」として唱えられます。
 答唱句は、同じ答唱句(128)で歌われる詩編34の6節から取られています。全体は、八分の六拍子で流れるよ
うに歌われます。冒頭の四分音符の次の八分音符が、テンポを決定する鍵で、これを含めた、連続する四つの八分
音符が、テンポを持続させます。「を仰ぎ見て」の旋律の上昇音階と、旋律が「て」を延ばしている間に「ぎ見て」と歌
われるバスの上昇音階が、主を仰ぎ見る姿勢を表しています。さらに「光を受けよう」で旋律が最高音C(ド)からG
(ソ)へ下降することで、主から注がれる光を浴びて受ける様子を表します。また、その「よ」を付点四分音符で延ばす
間、テノールとバスが「受けよう」を遅れて歌うことで、光が輝く様子も表されています。後半は、「主がおとずれる人
の」で、バスとテノールがC(ド)を持続し、旋律は徐々に下降してゆくことで、主の光を受けた人の顔もこころも穏やか
に落ち着いて輝くように、答唱句も静かに終止します。
 第三音E(ミ)から始まった詩編唱は、第二小節で、最高音C(ド)に達し、最後は属音のG(ソ)で終わります。和音
の開きが少なく、特にバスの音が高いので、全体的に響き渡るように歌われます。
【祈りの注意】
 解説でも書いたように、冒頭の四分音符の次の八分音符が、テンポを決定する鍵で、これを含めた、連続する四つ
の八分音符が、テンポを持続させます。冒頭の四分音符の次の八分音符をやや早めに歌うことが、答唱句を活き活
きとさせます。この四分音符が間延びすると全体のテンポもだらだらとしてしまいますので、そうならないように気をつ
けてください。旋律が「見てーーーー」を八分音符5拍延ばす間に、バスが「おぎ見てー」と、仰ぎ見る姿勢を強調しま
す。混声で歌う場合でなくても、この「見てーーーー」をしっかりと5拍延ばし、決して短くならないように、気をつけまし
ょう。最高音C(ド)で歌われる「よ」は、乱暴にならず、胸を開いた明るい声で歌うようにしましょう。後半は、旋律が
徐々に下降してゆきますが、この間に、少しずつ dim. と rit. して、穏やかに終わるようにしましょう。
 今日の詩編は、福音書にある、悪魔がイエスを荒れ野で試みた際に、三つ目の試みで、「こう書いてあるからだ」
(ルカ4:10)と引用したものです。確かに、悪魔は誘惑で、この詩編のことばを引用していますが、詩編唱の3節=
詩編91:14+15をわたくしたちは忘れてはならないと思います。ここでは、
神は仰せになる。「わたしに頼るものをわたしは救い、
わたしを知っている者を守る。
呼び求める者にわたしは答え、
悩みの時ともにいて、救いと誉れを与えよう。」
と歌われます。すなわち、神は、ご自分を知り(体験し)、信頼して呼び求める者を、いつも守り、その祈りに答え、さ
らに、悩みのときにさえ、ともにいて「救い」のみならず、「誉れ」まで与えてくださると、約束されているのです。イエ
スが悪魔の誘惑に合われても、その、人間的な部分で、くじけなかったのは、この詩編のことばをご自分のものとさ
れていたからではないでしょうか。言い換えれば、悪魔は、詩編のこのことばを、自分の傲慢のゆえに忘れていたと
言えるのかもしれません。
 わたくしたちも、この四旬節の間はもちろん、生涯においても、この詩編のことばを心に刻んで、主イエス・キリスト
の道を歩めるように、この答唱詩編で祈りたいものです。
【詩編の異同】
 詩編唱の1節の第4小節は、最近、訂正されたもの以外の、古い版では、「翼のもとにわたしはのがれる」となって
いますが、前後関係から文意が合いません。ヘブライ語の原文でも、『典礼聖歌』の詩編の原本の、『ともに祈り、と
もに歌う 詩編 現代語訳』(あかし書房 1972)でも、「聖書と典礼」においても、この部分は、「翼のもとにあなたは
のがれる」となっています。古い版をお持ちの方は、お手持ちの『典礼聖歌』の歌詞を、「あなた」に修正して歌うよう
にしてください。
【オルガン】
 四旬節ですが、答唱句のことばを考えると、フルート系の明るめの音色が良いと思います。オルガンの前奏では、
祈りの注意で書いた、テンポの決定が重要です。オルガンが、前奏でしっかりと提示し、伴奏中も、目立たないよう
に、会衆の祈りを、テンポ良い祈りにしたいものです。加えて、答唱句の最後の rit. も重要です。前奏のときもそう
ですが、会衆が歌っているときも、会衆の祈りを、静かにふさわしくおさめることができるように、助けることができれ
ば、いうことはありません。これらは、単に、前奏や伴奏で音を出せばいいのではないことは言うまでもありません
が、これら、テンポも rit. も、毎回の伴奏と、それを準備する練習と、さらには、それらを含めて、生涯、祈りを深め、
味わい深いものにすることは、生涯問われ続けていることを忘れないようにしたいものです。
 なお、最後の dim. は、パイプオルガンや、足鍵盤を使っているときにはできませんが、リードオルガンでは、ふい
ごの踏み方で表現できますから、リードオルガンを使う場合には、dim. も祈りを深めるようなものにしてください。


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